復縁カップルYouTuberとして活動しているえいしとさなさん。
TikTokでラブラブな日常を投稿したことをきっかけに人気が高まりました。
毎日幸せそうにみえるふたりですが、彼女のさなさんは、右耳難聴というハンデをもっています。
今回は、さなさんの右耳難聴について、詳しくまとめます。
えいしとさなプロフィール
・えいし
【名称】えいし、えい
【本名】⚪︎⚪︎ 瑛士
【誕生日】2000年5月27日(24歳)
【血液型】B型
【身長】177cm
・さな
【名称】さな
【本名】⚪︎⚪︎ 咲奈
【誕生日】2001年1月8日(23歳)
【血液型】A型
【身長】163cm
さなの右耳難聴について
・いつから難聴なのか
さなさんは、動画で自身の右耳が聴こえないことを公表しています。
生まれたときは聴こえていたと話しているさなさん。
小学生にあがるタイミングに検査をしたところ判明したため、突発性難聴と診断されました。
さなさん自身も両親も驚きを隠せなかったそうです。
しかし、具体的にいつから聴こえていないのかは不明です。
・治療
さなさんは、特に治療はしていません。
通常、突発性難聴の場合、聴こえなくなってすぐ、もしくは耳に異変を感じてすぐに、薬を飲んだりして治療します。
しかし、さなさんの場合は、いつから聴こえていないのか分からないのです。
2歳くらいから聴こえていなかったのかもしれないし、6歳かもしれない。
さなさんのお母さんは「聴こえてないような違和感はなかった」と話していることもあり、
物心つくまえには右耳が聴こえていないのが当たり前だったのではないかと考えているそうです。
・右耳難聴による苦悩
さなさんは、普段から明るく振る舞っていますが、やはりハンデを負っているため、傷ついたりしたこともたくさんありました。
友達が話しかけてきていることがわからず、無視していると思われたり、
居酒屋などガヤガヤしているところでバイトをしていたときは、話がきけない態度の悪い店員と酔っ払いに怒鳴られたこともあるそうです。
最初は、自分の耳はなぜ聴こえないんだろう、聴こえていたらこんな思いすることなかったのに、と落ち込むことが多かったさなさん。
しかし、あるとき「右耳が聴こえないのも私」「受け入れて進んでいくしかない」とポジティブに考えるようになりました。
それからは気持ちも軽くなり、楽しく毎日を過ごすことができるようになったようです。
えいしにカミングアウトしたのはいつ?
えいしとさなさんは、高校二年生のときに一度付き合っています。
さなさんはそこで、重大なことでもないかのようにサラッとカミングアウトしました。
それは、特に隠したいことでもなく、右耳が聴こえないのがさな、と思っていたからだそうです。
そして、最初に隠してしまったら、後々言えなくなってしまうとも考えていたそうです。
・えいしの反応
さなさんの右耳が聴こえないことをカミングアウトしたとき、えいしさんは、特になにも思わなかったと動画で話しています。
右耳が聴こえない?それがなに?さなはさなでしょ?としか思っていなかったそうです。
もちろん大事なことだから、隠されていたら話は変わってきたでしょう。
しばらく付き合っていてカミングアウトされたら、なんでもっと早く‥と。
自分はそんなに信用がないのかと傷ついていたかもしれません。
えいしさんは、気にしていないと言いつつも、もちろん配慮はしています。
例えば、動画を撮るときは、えいしさんが左でさなさんが右ですが、
プライベートでは、えいしさんはさなさんの左側にいて聞き取りやすいようにしています。
また、ガヤガヤした場所では、いつも以上に自分が周りの声も聴くようにしているそうです。
えいしさんは、全く負担にはなっておらず、当たり前のことすぎて意識していることすら忘れると話しています。
本当は右耳が聴こえていた?
2024年3月3日の動画で、右耳が聴こえていたことを公表しています。
たまたま病院に行く用事があったときに、せっかくだし耳も検査していみるかとなったそうです。
右耳は聴こえていないだろうけど流してみるね〜と軽いかんじで検査をしたところ、なんと音が聴こえたのです。
検査室では、半信半疑だったさなさん。
先生から、結果を紙で説明されたとき、ようやく実感し涙が溢れてきたそうです。
聴力は80代のおばあちゃんくらいだそうで、周波数によって聴こえない音もあるようです。
しかし、聴こえると聴こえないでは全く違います。
えいしさんにいちばんに報告し、ふたりで大号泣したそうです。
まとめ
今回は、復縁カップルYouTuberえいしとさなさんの、彼女さなさんの右耳難聴についてまとめました。
右耳から音が聴こえることはないと諦めていたさなさん。
それでも、前を向いていたさなさんだからこそ、奇跡が起きたのでしょう。
聴こえづらいことは変わらないかもしれませんが、これからもっと楽しく人生を過ごしてほしいです。